ネカマ

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」

という書き出しでブログを始めると決めていたことを忘れていた。

このように書くことで紀貫之は女になれたのであった!

 

読者の皆様は僕を男性だと決めつけているようだが、まだ僕は自分自身が女性であると主張する。元彼女がいて、おちんちんが生えてる女の子である。おちんちんにリボンをつけるほどなのだから女性であることは自明である。

 

ということで今回は、ジェンダーのお話をします。

 

小さい頃から僕は女性でありたかった。幼稚園年中のとき僕はハローキティの柄の園児服を着ていた。

 

幼稚園のとき、女性器というものにものすごい憧れを抱いていた。今でも明確に覚えているが、女児の園児が裸で立っているのを見た瞬間、女性器がどうなっているか外観を見ることができた。それは美しいクレバスであった。氷河のように白い肌に素晴らしい地割れが起きていた。憧れが噴出した。ただただその芸術作品のような身体と女性器が羨ましかった。

 

僕は無念にもおちんちんにリボンをかけることしかできなかった。

 

 

時は流れ大学生になった時、ふたなりというジャンルを知った。ふたなりは両性具有である。遠い昔ギリシャ人は神話上でふたなりをアンドロギュノスという性別として定義していた。

なんとおっぱいとおちんちんと女性器がついているのである。こんな欲張りセットを思いつく者はどう考えても変態だ。

そして、ふたなりとアンドロギュノスを知った僕はそれになりたくてしょうがなかった。顔はまだしも豊かな女体は等しく美しく、女性特有の身体の曲線は惚れ惚れし、何度見ても飽きないものである。

 

もし世の中の人間が皆ふたなりだったとしたらどうだろう。今発生しているジェンダーの問題などの半分近くは消滅するだろう。皆が生理の痛みを分かち合うことができ、皆妊娠する可能性があり、妊娠したくない者はする必要はなく、性別による役割だなんだという問題はなくなるだろう。いい世界になる。

 

とはいえ、性別が二分されたこの世界においても同性同士のジェンダー問題というものが往々にして存在している。それは生理が重い者と軽い者、世代間格差や価値観の違いによって生まれるものである。例えば、生理の痛みをほぼ感じない女性体育教師(バカ、脳筋、白痴、間抜け、筋肉馬鹿、能無し)が生理が重いことを理由に休む女子生徒の痛みの度合いを理解できず運動を強要する問題、女は妊娠して子育てをするのことは当然であるという価値観を強要する近所のババアがいる問題などである。またこれらは歳の差があり別のハラスメントなどにも該当しうるが、同世代間では平気で同性に「ブス」「デブ」などと言う女子生徒がいるのもある意味ではセクハラだろう。

 

男でいえば同性を風俗に連れて行こうとする友人/上司の存在があるだろう。また恋人との関係を細かく聞き出そうとする人間がいたり、尽きない問題はある。

 

 

 

つまり、世の中全てがふたなりになったとしてもこの問題は絶対消えないのである。人間というものはちょっとした相手との差が気になっていじめたりしてしまう性なのだろうか。

これを克服するのは相当難しいだろう。人間の脳が機械にでも代替されない限りジェンダーの問題もほかのハラスメントの問題も消滅しないのだ。

 

人間は不完全な存在だと思い知らされる。

 

自然界にはそのような両性の特徴をもつ生物も存在する。

タツムリとかそのあたりだ(適当)詳しくは雌雄同体で検索しよう。

 

 

また、半陰陽をご存知だろうか。半陰陽とは、生まれる前の性別の変化が曖昧となってしまって、外性器の変化が実際の性別と異なってしまうこともあるのである。男の見た目で膣が付き自然妊娠はできないという場合、女性の見た目で陰茎がついている場合などもあるというが、実際はもっと複雑な場合も多いという。現在の人間がふたなりに近づく最も簡単な方法である。

 

冒頭の書き出しの話、紀貫之は男性が主に記していた日記を、女性が主に使っていたかな混じりの文で書いたという偉業がある。これによってそれまで漢文で主に書かれていたのが、かな混じりの日本語を標準としていったのである。

「日本最初のネカマ」などと私が高校生の時には馬鹿にしたものだが、先駆者となるにはそんなことを気にしないほどの勇気が必要なのだと考えさせられる。(死後彼は気にしているかもしれないが)社会を、国を動かすにはそれだけのパワーが必要なのだ。

 

おっぱいとおまんこがほしいです。あくまでも眺めて気持ちよくなるために。それなら男性のもつ性欲の強さも女性の持つ生理の痛みも耐えよう。

どちらかにしかなれないとしたら女になろう。男は絶対に労働から逃れられない。主夫という選択肢は日本では圧倒的に選びづらい。いくつかの理由があって女性になりたいと思っていたが、きっと私の性格のことだ。女に生まれていたら男になりたかったと言うのであろう。カスみたいな性格だな僕は。人間をやめるしかない。