久しぶりに夢が見たくなりました。
実現できないことって夢を見てしまいますよね。
夢は、ちゃんと働くこと。または、働くのをやめちゃうこと。
ちゃんと働くなら、すぐに体を壊すこともなくて、すごい初歩的なミスを一年間続けちゃうこともなくて、頼られる社員になりたいです。落ち込むことも少なくなって、働いても休日に一日中寝たり、病んだりすることがないようになりたいです。
まずは、人並みになりたいです。好きな人と強制感なく結婚して、過度な期待をされることなく、期待されても実現でき、家を持ち、車を運転して、休日には家事をするような、そんないいお父さんになりたいなって。
でも僕は障害者、子供に優位に遺伝してしまうでしょうから、この生きづらさは絶対引き継ぎたくないです。だから、夢は夢のまま。実現不可能です。
働かないのなら、株とかバイトでチマチマ稼いで、郊外の古いマンションの一室を買ってものすごくおしゃれにリノベーションしたいです。自分だけが引きこもる城を作りたい。一台の中型バイクで移動や旅行をし、自分で作った料理をたまに食べ、有り余る時間を使ってたまに勉強して、あとはたくさんにTENGA エッグに囲まれて、酒はたまに飲み、毎朝何も予定がないのに早く起きる、そんな風に生きたいです。
そして、もう少し贅沢を言うなら猫と、たまに好きな人と遊べれば、なんかこう完璧に幸せなんじゃないかなって。
でも、できなくてもかまわないです。ちょっと足りないぐらいが、ちょうどいいのかもしれないでしょう。
なんて、働かない方の夢がこんなにリアルでどうしようか。
でも、不労所得には相当な初期投資が必要ですから、これもまた実現不可能。
孤独は気持ちいいと思います。
でも、人がいないでずっと一人は寂しい。
ああ、社会不適合者。
一生夢見て、何も実現できずに、何もなすことがないのだろうなと。
まずは、仕事をできるようになって、家と、一台のバイクと、自分の料理を手に入れるべく、頑張ります。でも、頑張らないと普通の人ができることができないという事実に、今日も押しつぶされそうになります。
明後日のお弁当は何を作ろうかな。
一歩一歩着実に着実に。家を買うには400万円のお金がいる。バイクを買うのには中型免許と50万円のお金がいる。料理を食べるには、料理の精度をあげなければならない。人並みに生きるには、薬を飲まなきゃいけない。
僕の生きづらさは、文章で具体的に伝えなければ理解されない。
だって、「僕は発達障害でした。こんなことに苦しんでるからです。」と言うと、「私もそうかもしれない」と言われるからです。
クラスで一番運動ができなくて、好きな図鑑の内容をまる一冊暗記することはできても、図工は微塵もできない。
カバンはどんなに気をつけても汚くなるし、毎日チェックしたらすごく時間がかかってしまう。一つ話しかけられれば、一個前のことは忘れてやりかけにしてしまう。そんなことを言ったって「私もそうだよ」しか言われなくて、それが悔しくてしょうがないのです。
何故悔しいかはわかりません。