学歴は役に立ちません。
「努力は報われる。」高校に掲示してありました。
「努力は必ずしも報われるとは限らない。」
座右の銘です。
中学高校時代死にものぐるいで勉強し、低くない学歴を得ました。
しかし仕事は全く続かず転職を3回繰り返してようやく自分のおかしさに気づき、自身が発達障害者と判明しました。
今では高校時代の勉強なんて役に立ちません。オマーン国全盛期の王がサイイド・サイード・ビン・スルタン・アル・サイードであることや、クスコ王国の初代王がマンコ・カパックであることしか覚えていません。
(この知識が今まで役に立ったことはありません。)
大学時代の勉強も役に立ちません。美術館に行った時、「教科書で見た絵だ」と感じる程度にしか役に立ちません。(知らなくても生きていけるのです)
頑張って覚えた中国語も、今ではTwitterでアダルトなビデオを検索するためと、料理を作る際に現地のレシピを翻訳するためにしか使いません。
「実学」がものをいう世の中なのです。
コスパよく生きるべきでした。
両親にかけてもらった私立大学文系学費400万円をドブに捨てました。
結局今はエクセルをポチポチし、毎月ルーティンワークをこなしているだけです。
それならいっそ、専門学校に行って何かしらの手に職をつければよかった。
専門学校で死にものぐるい努力していれば、今頃美容室店長だったかもしれないし、一流看護師だったかもしれないし、料理人だったかもしれない。
今からでも遅くない、そう言われるのは目に見えていますが、ここで「努力は必ずしも報われるとは限らない。」と思うのです。
生きるのが不器用で、自分の努力をちゃんと活用できないのです。過去の自分に対する裏切りですよね。
きっと料理人になる専門学校に通ったって、体力がなくて料理人には続かない。美容師になるようなセンスもない。マルチタスクができないので看護師にはなれない。
言い訳だらけの人生です。
きっと何も手に入らないから、申し訳程度の学歴が一番コスパがよかったのでしょう。
私はこの先死ぬまでエクセルをポチポチし、マクロを組み、お客様から依頼された仕事を協力会社に指示して、簡単なアプリを開発して終わる「機械にとって代わられる」人生なのでしょう。
今の夢は、この仕事で手に入れたお金を株にぶち込んで、株で儲けて、株で得た金でバレンシアガのパーカーを買って、同窓会に着ていくことです。