茶番

会社へ行くSバーン、折り返し列車に乗ることで座席に座り、いくばくの通勤を楽にする。

各駅で人が入れ替わるたびに、誰か譲れる人がいないか探す。

かつての知り合いが、「優先席には積極的に座る。困っている人に席を譲れるように。」と言っていたのを思い出す。

 

僕は妊婦には席を譲る。老人には席を譲らない。怪我人や障害者には席を譲る。

なぜなら、自分より「弱い」から強者としての余裕を見せるのである。

 

もちろんブランド品やでかい指輪を身につける老人には絶対に席を譲らない。

発達障害者で低年収な私の方が絶対的に譲られるべき存在だからだ。

心のヘルプマークがほしい。僕は発狂寸前。

 

今日も1ヶ月前と同じことをする。

仕事なんて暇つぶしでなければならない。

 

狩猟と採集の生活に憧れる。

スリリングな世の中であってほしかった。

 

だからといって今すぐウクライナに行って救国する勇気もない。

 

以前「ゆるい自殺編」で書いた「マックのLポテトは今は150円キャンペーンをやっているが、そうでない期間もスマホアプリをインストールしてクーポンを使用すれば190円である。

大学生の時は極貧であったがために190円ポテトを週に4回は食べていたであろう。幸せであった。

これは安くてお腹いっぱいになる最強のコスパ食だからである。

炭酸とマックのポテトを食べれば、だいたい胃で膨れて多幸感に浸れる。」も過去の話となってしまった。

今では250円である。それでも世間的に見れば安い方だ。何でも値上げ値上げで給料が上がらないこの世の中じゃ、買えるものはもう最低限の物資しかない。

 

僕がプーチンなら絶対「キエフ」に核を落として地球を寒冷化させるし、僕がゼレンスキーならアメリカに媚を売ってノバヤゼムリャを奪取して勝利宣言をする。(かつてのアッツ島作戦のように)

 

自分の知ってる有名な人はどんどん死んでいくし、どんどん知らない人が有名になっていく。

 

 

人間は不完全な存在である。死とかいう不明瞭で不可解なものが待っているのに、それをただ先延ばしにしたり、それまでの間の暇つぶしを充実させたり…

 

「コロナは茶番」とかいう陰謀論者がいるが、そもそも社会も人生も何もかも茶番なんじゃないか、そう思ってしまう。

いっそ、猿にでも戻って、日が出ている間ご飯を探す人生の方がいいのではないだろうか。

そうして、僕は綺麗な夕陽を拝める木でも探して、ただ毎日眺めるのです。

それでいいじゃないですか。

 

人間は発達しすぎたんじゃないんでしょうか。

それとも人間はまだ発達途上なのでしょうか。

 

そもそも宇宙には1光年にも満たない太陽系の中にすら、深さ数百キロの海が広がるエウロパとか、メタンが固体や液体や気体と循環しているタイタンなんていう生命の可能性がある星が存在しているのに、それらの星をきちんと探索できていない。

でも、人間があらゆることを知り尽くしても、待っているのは絶望なのかもしれません。

 

人間が生きる意味なんて、明日のLポテトが食えるために頑張る以上のことはないんです。

 

3116年、地球の人類は「廃棄物で惑星」を作っていた。

廃棄物で作った惑星には…スズメが文明を作って…すずめ村ができていた…

 

すずめ村を中心とした百万羽都市があって…文明的なスズメ達は…廃棄物の山から宝探しをしながら…暮らしていた。

 

人間が発達した先に待っているのはこんな未来でしょうか。

 

きっと3116年の日本人も確定申告が必要だろう。

 

手記はここで途切れている。

 

しゅき