短編処理

 

ふと家のあるアパートに帰ると、入り口にゴキブリキャップが二つしかけられていた。

盛り塩のような積み方であった。

この世あらざるものを避ける盛り塩は、ゴキブリを避けるゴキブリキャップへと変わってしまった。

 

 

 

高校生の時、「結婚指輪を分割で買うような男にはなりたくない」と思っていた。

なりたくない男にはならずに済んだ。現生一括である。

僕は次、車を現金一括で買いたい。

 

 

 

中学生の頃「両手利きになると頭が良くなる」と聞いた。僕はまずトイレでケツを拭く手、シコる手、黒板に書くときにチョークを持つ手を左手にした。

結果それらの作業を右手でできなくなった。不器用だった。

 

 

 

高校生の頃、クラスの女子とも話せるようになりたくて、当時はやっていたK-POPを聴いた。

最初は「何がええねん」と思っていたが、EDMの混じったイケイケな音楽に薬物のように溺れてしまった。

結局ハングルが読めるオタクになった。

 

 

とりあえず生きるために、と残業50時間やら手取り14万やら食費月2万やらというものがTwitterでよく話題になる。

アホらしい。みんなそんなに辛いなら死んでしまえばいいじゃない。残業50時間より死ぬのが怖いのか?

 

 

 

逆マイバックシステム

リュックやらカバンを持つのを辞め、外出時にレジ袋に荷物を入れて持ち歩くことにした。

一回5円であったとしても一年で1825円、二年で3650円、なんとカバン並みかそれ以上に安いのである。

機能性が弱くオシャレでないところが弱点だが、重いものでなければ耐えられ、衛生的だ。

 

 

仕事は演劇である。

僕には演劇ができない。僕は仕事ができない。毎日あえいうえおあおを練習して声だけは出せるようになったが、それだけだ。

 

 

新しい日常は「旧来の日常をより堅固にした」だけだと思っている。

旧来の日常では仕事以外の余暇をとりづらく、ありとあらゆるごまかしでワークライフバランスをとっているように見せていた。しかし、このように外出を叩かれるようになった今、仕事以外の外出ができない間抜けな時代ができた。会社側にとってはいつでも出社させられ都合がいいだろう。

 

 

努力の奴隷になるな。これは僕が考えた中国語のシャレなのだが(努力と奴隷の発音は似ている)、僕の生き方の指針である。努力をしている人がかっこいいとか、努力をすれば報われる、努力が認められる会社などというのはよくないと僕は思っている。過度な努力競争は過労をもたらす。

 

 

今の中学生世代は二千円札をほとんど知らなかった。東日本大震災ですら5、6歳の出来事である。僕は二千円札のような存在になりたい。

そしてひっそりと取り替えられていくのだ。

 

 

 

三浦春馬くんは勝ちましたね。現世を先に逃げられるとは許せません。僕が先に死のうと思っていたのに。僕も死ぬために早く就活をして終活をして正社員にならなければならない。