もう二度と恋などしたくなかった

 

雨の音が響く室内で、僕は胸の締め付けられるあの感覚を味わっていた。

 

焼け焦げる恋の感情である。心臓のあたりがうすら痛く、性欲ではない何かの感情がうようよ蠢いているのである。

返事の来るはずのないLINEを期待して夜中まで携帯をいじってしまった。

 

 

 

そしてこの結末はわかっている。手に入ることがないことが薄々見えている、相手からの好意がない恋であった。

 

 

互いの感情ならともかく、片想いで恋をしてしまうと地獄なのである。

 

 

大学生時代取った社会学の授業で「恋は一方的な(いわばテレビと同じ)メディアである」と教授が断言していたのを、まさにそうだと感じるのである。

 

恋をした方が負けである。

 

 

連絡をしたいという気持ちがブクブクと泡のように発生し、つまらなく空回りをしたLINEを送ってしまうのである。

ただの友達と話す方が面白い返しができているのである。

 

 

自分の顔を見て落ち着かせる。自分の顔は恋をするに相応しくない間抜けフェイスであった。

小さい頃からこのようにして耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた。

 

 

僕は小さい頃から片想い大魔王であった。25年弱のこの人生において、片想いになった回数は最早30回を超えたかと思う。

 

 

それだけ目移りもするし成就もせず、うまくもいかないのである。

その人と話せなくなってしまった小中学生時代や、しつこくLINEをして突如ブロックされた高校生時代、いきなり告白をして「テディベアにちんこが生えた」状態になった大学生時代もある。間抜け。

 

 

今はこの片想いを成就させやすくするロジックがある。僕が売れない営業だった時代に学んだロジックである。

「第一印象をよくして相手を最優先に気を配り、相手が心を開いてきたらひたすら想いを伝えて、場合によっては頭を下げて何度も短時間アプローチするのだ」

僕の心がそうささやく。ただし全員に対してはうまくいかない。営業は運とアタック数なのである。きっと本当は恋もそうで、後に引き摺らないタイプが強いのである。

 

 

でもそのロジックは騎乗の議論であった。僕が営業で売れないのと同様、片想いも成就させられないのである。

間抜け。

 

 

もう二度と恋などしたくなかった。

僕の恋心は淡い雪や春のあたたかみのようではない。

桜の花が散った後の葉に蠢く毛虫のようなものなのである。

ハァー早く蠢く毛虫を捨て、楽になりたい。しかしこれはどこからともなく湧いてくるし、時間が経てば醜い蛾となって振られるのである。

 

 

 

僕はもともと綺麗な人間ではない。

手軽に死ぬことのできる安心システムがあってほしい。

しかし、恋をしている時ほど、人生に目標がある時はなく、またそれは報われることのなく終わりのある目標であった。

 

モテたいから勉強を頑張る。モテたいから世間的にまともな考えを持つ。そうやって頑張ってきた。しかしそうではなかった。

 

僕は何もかも努力の方向が間違っており、それ故に「努力は報われない」と思っていた捻くれ者であった。

 

 

今すぐ心臓を捻り出し、カンボジアに学校を、アフリカの子ども達に食料を、環境問題の解決を、そして来世の心の安寧を願いたい。

 

 

これは特攻玉砕作戦しかないということに気がついた。

相手に振られれば恋心の毛虫は死ぬのである。

そう思って相手に嫌われるようなことをする精神障害者がここにいた。たしかにここにいた。

 

 

水槽に浸かった脳の、本当は対象のない恋だ。

普段飲まない酒をかきこみ、ここで筆(入力)を止めることとする。LINEは二度と見ない。(弱い意志)

 

 

しかも僕は恋をしてはいけない。恋心のせいで一度命を失いかけたのだから