ブログを投稿し始めてから半年が経った。
書きはじめの頃は僕は三年以内には自殺したいと願い続けていたが、今年四月になって僕の環境は変わり、希死念慮が半減した。
発狂自殺川を眺める日々もなくなり、罵倒されることも、BKMNK先輩に詰められる日々もなくなった。(最後の方は腫れ物に触るような対応を受けていたが…)
自殺したさが半減すると同時に、文章も書けなくなった。つらくないと文章は書けないのだと気付かされた。
きっと歴代の優れた小説家は相当死にたかっただろう。太宰治だってクッソ辛かったからあんな面白い小説を書けるのだと思っている。
モノ書きはキチガイメンヘラである。
文章を書ける時など、正気でない時ばかりなのである。
優れたファンタジー作家でさえリアルな妄想を膨らませることにより文章を書けるのであり、常人にできるものではない。
ハリーポッターの作者だって一からあの世界観を作り出したのであり、作者の頭の中には小説に書かれている以上のホグワーツが広がっているだろう。
正気でない代表といえば、太宰治のようなキチガイメンヘラ作家がいる。
彼はまさに「感情を操って不幸せにする天才」なのである。
優れた作家というものは、本来伝達手段であるだけの記号であった「言葉」をもののみごとに操り、感情や情景を想起させるのである。
太宰治を読んで「私もそうだ」などと思った読者はいないだろうか。それは彼のメンヘラ増産能力によるものだろう。
一般的にメンヘラの近くにいると影響されると言われている。太宰治の文章を読むと精神に悪影響がある。
太宰治は今もなお、幽霊のようなあの作品達を読んだ読者を、死に導き心中させようとしている。
だからこそ面白いのである。死なない程度に読むべきである。
僕は大好きである。恵まれた家に生まれ、顔は良く、大学にも当たり前のように合格し、女にも困らないというのに脳内物質の分泌のバグのせいで幸せになれない哀れな作家である。
これを読めば、自分が今欲しているものを全て手に入れても幸せになれないことを実感する。
希望なし!死!
対して僕のブログはどうだろう。おちんちんの話とケツの話と自殺の話しかしていない間抜けである。
ブログを書き始めた時僕は「文章の能力がある。俺は天才だ。物書きとして作品を出そう。職などやめて生きていけなくなったら死のう。」という自惚れがあった。
これは間抜けであった。
きっと今までは仕事へのストレスが蓄積して文章を書けていただけであり、仕事を辞めたら最早書けなくなってしまうだろう。(現段階でもそうなのだから)
そう考えると僕は早々に仕事内容の変更をできたのはミスであった。あの空間でストレスを溜めブログで発散すれば、「素晴らしい物書き」になれたかもしれないのに、今では平凡なホワイトカラーワーカー、サラリーマンになってしまった。
ホワイトカラーワーカーとは主に屋内勤務の白い襟の労働者のことであり、サラリーマンとは給料マンのことである。
それいけ!給料マン!
給料マンは工場長おじさん(自営業)の製品であり、バタコさんと共に会社の駒として奮闘するのである。
最大の敵は税務署マン!公共だとか正義の名のもとに街のみんなから給料を奪い取ろうとする、悪役。
もう今僕がいるところには発狂自殺川はない。友達とも疎遠になり、相変わらず会社には馴染めず、必死にしがみついてなんとか人間の形を保っているゾンビである。
これからもこんなゾンビの給料マンをよろしくお願いします。アンパンマンのように敵を倒せないですが、辛くなったらブログを書きます。
のべ500人が読んでくれました。一年までに1000人に読んでもらいたいです。