僕は無職になった。
無職になったことでふと、将来の夢を思い出す。
将来の夢、これは僕が幼稚園の時から2番目に聞かれたくなかった質問であった。
何故なら、なりたいものがなかったからである。適当に取り繕って幼稚園の時は「宇宙飛行士」とか中学校の時は「アナウンサー」とか言ったが、別になりたいと思っていたわけでもない。
周囲の人が「サッッッッッカー選手」とか「野球選手」とか「歌手」などというのを聞いて、そんなに多くの人がそういう職業を目指していたらスポーツ選手とか歌手芸能人だらけになるというのがアホらしく何も言いたくなくなった記憶がある。
そのまま何もなりたいものがないまま、高校生、大学生となってしまった。
何もなかった。高校生の時は大学生になったらなりたいものができると思っていた。自分は甘かった。
とりあえず就職活動をはじめ、いくつかの会社から内定をいただいた。学歴に感謝。
しかし実際はどの会社にも行きたくなく、大学生最後の一年は何もしたくないまま過ごしていた。
社会人生活はつらい。アルバイト程度でしかしっかり働けなかったと気付かされた。僕は体力がなく、努力が嫌いで、中途半端にしかできず、冷笑する癖があり、そのくせ何もできなかった。
そして社会人一年目、本当になりたいものがはじめて見つかった。アパートの大家さんである。
一度建物を建て、そこに住んでしまえば後は借り手が家賃を納めてくれる。メンテナンスをし、不動産会社とやりとりし、借り手があまり変なことをしなければお金が入ってきてなおかつ家もある生活が成り立つのである。
またはそうでなければ、ひとしきりお金を貯めて50歳に仕事を引退する人生もいいかもしれない。昔のお客さんでそういう人がいて、彼は年収としてはすごく高い方ではなかったが、結婚をしておらず、貯まったお金で家を建てそれから仕事を辞め、毎日家でゆったりしたソファでテレビを見て過ごしているという。
お昼寝をし、のんびりと過ごす毎日に憧れを抱く。趣味もないからお金も使わず、毎日ダラダラと死ぬのを待っているだけ。何にも追われず、何も追わず、そんな生活が憧れである。
そういえばきっと僕は怒られるだろう。無職になってしまった僕と同じような境遇で「仕事が続けられませんどうすればいいですか」とyahoo知恵袋に投稿していたユーザーは「社会はそんなに甘くねえぞ働け」みたいなコメントで袋叩きにあっていた。
拒否権発動!!俺のターン!!自殺!!
そんな勢いで死んでいった戦士達も多かったことだろう。
追悼。
僕は親の努力と自分の努力で、それなりの大学を卒業したはずだった。
退職はもう2回目、ともに短期である。仕事は好きじゃなかった。つらいと思って続けられなかった。社会不適合者である。
僕はどう生きていくべきか。死ぬべきか。死んでも構わない。だって前からそうだったから。
退職を告げる一日前、自殺を試みた。ロープで首を吊ろうとしたが、思わぬ邪魔が入ってしまいできなかった。
生きていればこそ、悪いことが起き続ける。
まだ悪いことに耐える日々が続きそうだ。
無駄だった。病んでいるのか。
これになりたい。