個人的な興味から、世界的に活躍しているある女性歌手グループの成員の年齢を調べたところ、半分のメンバーは僕の年齢と同じであった。
かたや世界的歌手、かたや無職である。
僕は聞こえのいい(いいのか?)「高等遊民」という言葉をもじって自分の今の状況を「低等遊民」と呼ぶ。
明治期に財力をもって学問や創作をしていた彼らと違って僕はただのニートまたはフリーターである。
高校生で習った「竹林の七賢」を「ネット上でレスバトルをしているニート」と同じようなものだと思っていたが、実際は各々がそれなりの役職を持った役人であったことを知った時、突き放されたような何かを感じた。
高等な教育を受けた高級官僚が仕事の合間を見て高尚な学問を考えていたのが竹林の七賢だが、僕はただインターネット上で書き込みを見て草を生やすだけの「草原の七愚」であった。
最近感じるのが、各方面で活躍している人間の年齢を超え初めてしまった、という虚無感である。
最初は小さい頃好きだったアニメキャラであった。彼と同い年になった時の僕は、見るあてもない姿であった。
まだしばらくは「彼らは創作上の存在だから…」と思っていたが、段々と現実世界で活躍する人にも自分と同い年や年下が現れ出した。
焦りが生まれてくる。彼らが血の滲むような努力していたころ、僕は何もしていなかった。
有名人だけでない。InstagramやTwitterで見る友人達は既に仕事で活躍し、趣味で充実し、既に店長並みの役職が付いている者もいる。
僕はどうだろう。
差が、差がどんどん開いていくのである。「努力教信者」達はいつの間にか努力を重ね苦労を重ね強くなっていった。僕は努力を苦労を嫌い安全な場所から俗世を監視してああでもないこうでもないと思案しているだけである。最近は思案すらやめて、自分だけのベルリンの壁作りを続けている。
差が広がっていく。