座間の事件に関して思うこと。

座間で死にたい人を殺していた白石隆浩が死刑を求刑された件について思うこと。

 

僕は公式な自殺を助ける団体、があったらいいと思う。

 

 

僕の知り合いは死にたい人も多い(類は友を呼ぶ)

実際、自殺を考えたことがある人は4人に一人にもなるという。

 

よく「殺してくれ〜」というツイートがタイムラインに流れ、その人同士で相討ちしたら面白いのになと思いながらいいねを押す。

 

 

 

しかしその人たちは上から鉄柱が落ちて来るやら隕石がクリーンヒットしたというような、不慮の事故によって死にたいだけであり、最期に似たような境遇の人とタイマンしたいわけではない。

 

 

自殺したいけど痛いのは困るし失敗したくない。誰かに痛みなく殺してもらいたいと思ったことはありませんか?

 

 

自殺を助けることは多くの人の心を救うと思うのです。

自殺したい人といっても離婚や仕事でのミスなど短期的に辛い人、嫌なことは特にないけど慢性的に苦しい人、様々な人がいると思います。

 

 

苦しいという人に対して、世間の目は厳しいです。

一度仕事を休職してしまえばなんとなく戻りづらく、離婚したら×が一個つくのです。気にするなと言われても、気にしてしまうでしょう。

 

 

そういう時、自殺したくなってしまうものです。

しかし自殺は容易ではありません。非合法なもののため、ビル飛び降りは歩行者の巻き添えの心配、電車飛び込みは列車遅延や賠償請求、その他の方法でも失敗したら後遺症を負ってさらに辛い人生を送ることもあり得るのです。

 

 

もし自殺を助ける団体があれば、「自殺したいが勇気はない」「自殺に失敗して後遺症が残って生き残りたくない」「他人を巻き込まずに死にたい」という思いを叶えることができるでしょう。

また世間様の「迷惑をかけずに死ね」という声にも答えられる。

 

 

自殺を止める団体は数多く存在しているが、死にたいと思い続けて年数が経つと、相談しても別に今の状況も、僕の心のもちようも改善しない。人と話したくもない。

 

 

おそらく自殺を考えたことがない人からは、「今自殺したら後の人生の楽しみを味わえないし、死んだら後悔してもしきれないよ」と思うかもしれない。

 

 

しかし、自殺を長く考えている人や自殺未遂の経験がある人が長く生き延びていたとしても、本人は死にたくなくなったわけではなく、「自殺することすら面倒で惰性で生きてる」状態になっていて、生きててよかったと思うことはなくなっていることの方が多いだろう。

僕は残りの人生、今は死にたくない!と思う時は来ないと思っている。仮にいい人生になったとしても、僕の心は何にも満足できないのである。

 

もし自殺を助けてくれる団体があれば「死刑になりたかったから」といって人殺しをする無敵の人も減るだろう。被害者は減るのである。

また自殺にかかる苦痛もなければ、(方法にもよるが)家を事故物件にしたり、電車を遅らせたりする心配もない。人に迷惑をかけないで死ねる。

 

 

利用の流れとしては、

①自殺幇助団体に連絡する。状況ヒアリング。突発的な自殺衝動であれば少し判断を遅らせるよう伝える。

②慢性的に死を望んでいる人、今後の状況回復が認められないと客観的に判断される人に、自殺を手助けする手続きを始める。

③各種準備。葬儀会社の手配、サービスや家の解約、後見人の設定など

④死。睡眠薬等で眠った状態で呼吸を止める。

⑤葬儀。

 

期間は1ヶ月程度がいいだろう。何故なら、その期間あれば考えなおすこともできるからだ。自殺したい人の一部は、ちょっと考え直せば死ぬほどのことでもないと思う人もいる。

そういう人たちは生きていなければならない。

 

 

こんな塩梅なら、無駄な命を失うことなく、適切に死にたい人は死ぬことができる。

たとえば仕事を辞めれば状況が改善する可能性がある人には、一度退職をお勧めして、その後も楽にならないようなら自殺を助けてもらう、というシステムがいいだろう。

 

 

 

では宗教ではいけないのか。宗教団体も考えたが、アメリカの「人民寺院」のカルト集団自殺のように、メンバーが全員死んでしまってはその宗教も滅びるので、この考えが広まらなくなってしまう。

 

この時代に宗教というのも胡散臭く流行らない。

 

 

NPO法人とかで誰か作ってくれないかな〜?(他力本願)

 

 

どうしようもない状況で、自殺を何度も繰り返したり毎日死ぬことを望み、暗闇でもがき続けている人を見ると、こういう団体が必要なのではないかと考えるのです。

こういう団体があったら助け舟だと思ってしまいます。だからこそ、座間の事件のようなことが起こるのです。

 


公的な承認を得て自殺することができれば、自殺したい人の苦しみは大きく緩和されるでしょう。(実際に利用しなくても、いつでも死ぬことができるという安心感があるため)

生きる以外の選択肢があってほしい、と切に願っています。僕はおかしいのでしょうか。