私自身が発達障害という事実

前回の記事の通り、自閉症ASDADHDであった可哀想な私は、あれからどう生きればいいだろうかと思案する。

 

まず、思い返せば僕は異常なほど体を動かすのが下手であった。僕にとって僕の身体を動かすのは、竹馬に乗っている状態で動くのと同じようなものだと思っている。竹馬のれんけどw

体育は全くできず、長年の努力でちょっとマラソンができるようになったが、球技は殊更下手であった。

そもそも、よく転びやすいのがいかにもな症状である。小さい頃よく転んだり足を挫きすぎて、今では足を挫いたり転びそうになっても、倒れないで平静な顔で持ち堪えられるようになった。僕の生き方を象徴するような特技である。

 

 

「お前なんでそんなミスすんだよw」みたいなことをよく言われたし、耳にタコができるほど「ドンマイ」と言われ続けた。

それだけミスが多くて困っていた。

 

何十回もやってようやくできるようになるという塩梅である。今できるようになった料理だって、最初は爪が欠けまくり、量を作りすぎ、まずい料理も幾度となく作ってしまったし、いまだに綺麗に盛り付けをすることができない。

 

できないことはできないことで諦めるようにしている。本当は何十回かやればできるようになると分かってはいるものの、めんどくさいのです。

 

怒られるのが怖くて、多くのことを隠してきたし、嘘は若干うまくなった(と思っているだけで、周囲にはバレバレかもしれない)

 

 

小さい子が「これ何?あれ何?」と未知のものを指差し、名前を教えてもらえると納得するように、僕の生きづらさも「発達障害」という名前をつけられたことで妙に納得した…

が、だからといって生きづらさに納得したわけではない。

 

 

普通の人がする三倍の努力をして、やっと人並みになれる感じ。これがなんとも納得いかないのです!

 

いわばババ抜きで言えば裏側に透けているジョーカーを既に引いているのと同じだ。ハンデがあまりにもでかすぎる。

 

 

ハンデがでかければ何か補償があるわけでもないし、「来世での報い」があるわけでもない。ただ、不公平。

 

 

将来は、発達障害は遺伝要素が強いと言われるので、僕自身の考えとしてはもう子孫は残したくない。子供に遺伝してしまったときに、同じような生きづらさを味合わせたくないからである。

とはいえ、上に書いたことは他の人の生き方を否定するものではない。発達障害で子供を残したい人はご自由にどうぞ。

 

ただ、困ったことに僕はどうしても性欲が異常なほど強い。それはなんとしてでも「人一倍努力しないといけない」という本能からなのか、「生きづらいから脳内麻薬」なのかよくわからない。

 

仕事は、もう考えたくない。家だけは買って、家賃がかからないようにして、バイト程度の仕事でなんとか生きていきたい。それが夢です。家を買うためになんとしても努力します。僕は楽をするためならいくらでも頑張れます。

それか、障害者手帳をゲットして、最高の年金暮らしをするというのも一つの手であるが、発達障害というものではなかなかそこまでいくのにハードルが高い。

というか、ただでさえミスが多い発達障害に行政上の煩雑な手続きをさせようという国がそもそもハンデを与えている。こちらが行かなきゃ支援しないのではなく、向こうから来い!

 

 

 

なーんて毎日定まらない思案を続け、気がつけば別のことを考えていて、また一日一日過ぎていく。

折り紙の折り鶴すら折れない僕の手は、ぶきっちょで、でかくて、ただシコることしかできない。

 

生き方も不器用な僕は、昔の会社の人に「ステータス値を勉強に全振りした人」などと揶揄され、「何度言えばミスしなくなんだよ!」と罵倒され、頭を人一倍下げてきた。

言い訳のように思えるでしょうけど、「僕はそれでもちゃんと確認しているつもりだし、抜けのないように頑張っているつもりです!」

 

はい!次は「ミスを減らす努力もせず発達障害を言い訳にして…」ですね!分かってます!死にます!許してください!