ふと、自殺未遂をしたあの日を思い出した。
まだ今でもよく覚えている黄色く腰ぐらいの高さしかない欄干、広い河川敷と黄色い傾き始めた日の光、人がいない瞬間欄干を超え、そして飛び込む。
コンクリートのような色の水面が新幹線のように速く近づき、大きな水しぶきを立てた。
バンジージャンプなんて簡単にできるような気がした。
でも、今はあの瞬間を思い出すと心臓がバクバクする。
発狂自殺川の茶色く枯れ草のチラつく水を通して見える日の光が眼前に広がり…泡が上に上がっていく…そして僕も水上へ…
ああ、生きていた。絶望。
そう、たった三階程度の高さじゃ死ねないのだった。大怪我が残るだけだ。ましてや水なんて…ただの飛び込み選手だった。
その数ヶ月後、仕事がうまく行かない。
仕事で訪れた14階のマンション…目の前には郊外の緑が広がる最高の景色、遠くに見えるビルは小さな頃遊んだブロック遊びを想起させ、下に置いてある車は小さい頃遊んだトミカのようだった。
飛び降りようかと思った。
しかし車を運悪く壊した後の賠償は今の貯金じゃ払えない。ここの景色に血は塗りたくない。罪なき住民にも申し訳ない。やめてしまった。
全てを失い、親族が相続放棄をして14階のマンションから飛び降りれば…ふとそんな想像をした。
怖くて仕方がない。ふと今想像をすると、突然怖くなって心臓がバクバクしてしまうのだ。
仕事はできず、家事も半人前、勉強も最早習慣づけられない。死ぬこともできない。
死にづらい世の中になってしまったものである。
突然トラックに轢かれたり車のまま海に突っ込んだりして死、というのも何度も想像した。
でも、そんなことは無理だった。生きていた時の損失が大きすぎる。
次は家族も呆れ、誰も助けてくれないだろう。
より生きづらくなってしまうのだ。
この社会ではおそらく三分の一の人は、何かしらに悩み、苦しんでいるであろう。
そういう人を助ける慈善事業で生きていきたい。
最近、そう思うようになった。しかし、そんなので採算を取るのは難しく、僕の足りない頭ではどうにもできない。
今日はもう寝よう。今日はその時ではない。今はまだ分からない。
今はまだ分からない、それでもう一年は過ごしてしまった気がする。しかしまだ分からない。
こんな時に殺してくれる人がいたとしたら、座間の辺鄙な住宅でもどこでもいけるのかもしれない。
でも、今ではない。そう言い聞かせて、なんとか今を生きている。