メンシェヴィキ

 

今年はうすら寒い冬だった。

外の話ではない。屋内が、である。

電車も列車も汽車も、その他の施設の屋内も窓が開けられ、モンスターエナジーにやられた心臓が微妙に痛む。

 

 

冬に暑さを感じなくてよいのはいいことだが、少し心が寂しくなってくるものである。

 

こういう時はクッッッッッソ寒い海岸で海でも見ながら酒を飲むのが気持ちいいのだ。

あー寒いとぶるぶる震えながら、酒を飲み、じわじわと温まるその感覚に気持ちよくなる。

このまま海にボチャンすれば人生も終わるだろう。溺死しなくとも低体温症で死ぬのである。最高の算段。

 

「最高の人生でした。

僕のお葬式にはお経はいりません。共産主義に宗教は不要。

僕は僕のブログを読経していただければ恥ずかしさのあまり昇天します。

 

高い花祭壇はいりません!TENGA祭壇があれば十分です。

預金口座はみずほ銀行 地元支店@@@@番 暗証番号は中二の頃好きだった女の子の誕生日 預金は100万程度 システム障害が起きてなければ引き出して使ってくだせえ」

 

エンディングノートには上のように記載しておきます。

 

あとは自筆証書遺言を遺しておきます。僕は法律をちょっとはかじりましたんで、形式だけはしっかりしておきます。ちゃんと家庭裁判所で開けて、「内容はないよう」の文字をとくとご覧あれ!

 

 

 

そんなことを考えながら僕は帰りの客車内を無為に過ごすのである。

世の中の1割ぐらいの人間は客車列車に乗りながらこんなことを考えているのかな?(考えているわけない)

 

 

純粋に、なんでみんな生きてるんですか?なんで耐えられてるんですか?僕は何に耐えられないのですか?何が苦しいのですか?

 

近所の川の緑色の水を見ると発狂自殺川を思い出す。僕はあの時のことを、「携帯を水に落とした」と周りに話している。友人や知人には、僕が家族を失ったことも、川にダイブしたことも、話せない。お話できない人生を送っている。

 

 

思考を変えよう。今日はメンシェヴィキ

メンシェヴィキのように、マジョリティの中のマイノリティの側は「異端」として、もともと内部の人間でない者よりも叩かれてしまうものである。

革命戦士たちは、はじめこそ団結して一つの敵である帝政を崩壊させたが、いざ目的を達成すると内部分裂を起こしてしまった。

 

世の中のそのような状態になった団体がいくつもあることに悲しみを覚える。

 

 

彼らのアイデンティティは一つの目標の破壊であって、それを達成すると倒すべき敵は内部の異端となってしまう。

 

社会主義は人間には早すぎた。稼ぐことを諦めた人間は僕のように仕事をしなくなってしまう。

 

結局さらに内部分裂を起こしたメンシェヴィキのように、僕は今日も淘汰される側を生きているような感覚を覚える。

 

 

そんなことを考えていたら、時が経って客車列車は電車になっていた。気候は暖かく、コートがつらくなってきた。外は春の心地のする暴風が吹き、気圧の変化による頭痛を覚え、またかと思いながらバファリンを飲んだ。

 

視界には春霞がかかり、脳内にはスモッグがかかっている

 

脳内が処理オーバーして、頭が回らない時がある。頭の処理能力はあまりよくない。言ってしまえば、僕は僕が生まれた年にできたコンピュータ並みの処理精度なのだろう。

 

僕はメンシェヴィキでもボリシェヴィキでも何者でもなく、孤独なチーズ牛丼オタクであった。