区間快速とは…
------区間快速とは、快速列車の派生種別で一部の区間で各駅に停車するタイプの快速である。(ニコニコ大百科)
朝、都心のターミナル駅で並ぶ。待っているのは区間快速の電車。
区間快速で椅子取りゲームが開催され、座席を奪取する。
殺した人間は三人。いや、結局みんな座れているので結果オーライ。
大きなリュックを背負った人ばかりであった。この区間快速は、旅行客ばかり。
座席は気持ちよくあたたかかった。生きづらい人生に温もりが伝わってきた。
発車した区間快速の電車はひたすらに快速区間を飛ばす。駅数が少なく、快適。
15分に一駅しか止まらないのである。
目的地まで半分を超えたあたりで、急にスピードダウンする。各駅に止まり、人も少ない駅をひたすらポンポンと止まっていく。
駅が多いのはつらいつらい。
とはいえ途中駅で降りる脱落者は少ない。
耐えがたいほど頻繁に駅に止まるのをいつまでいつまでと待っていると、目的地に着いた。
7、8年前にしたその旅行を思い出して、あっこれは人生では?と思わされた。
グラビティというSNSで、女子高生が1人1月の夜を上着なしで徘徊しているのを配信していた。
人生は区間快速。この人は各駅に止まっているような人生から、徐々に快速運転をしていくのだろう。快速区間が早くくる人もいれば、先に各駅区間が来る人もいる。
人生はスムーズではないが、悪いことばかりでもないんじゃないかと思っている。
この女子高生に幸あれ。
さて、帰りのでんちゃ乗っている時、どこかの会社の社長が出した、薄っぺらい内容の(「できない」と思うより先に「できる」と100回となえよだとか、苦しみに飛び込んでこそ生きる喜びを味わえるとか)本の広告が目の前にある。
どこかの社長は運がよかっただけだ。世の中にはそれ以上の努力をして生きているがうまくいかなかった人だってごまんといるのだ。
人生は結局運とちょっとの洞察力で大きく変わってしまうものだ。こんなに文明は発達したというのに、人それぞれ平等に機会が与えられているわけではない。
人生哲学などというものほどあてにならないことはない。その人の行動を真似たって、ただのモノマネ芸人と同じである。本人がすごいわけではない。
その広告でにやけている創業者のおじさんだって、ただその運がよかっただけなのだ。
もし発達障害に生まれ、親が貧乏で学校にも行かせてもらえず、創業の仕方すら分からなかったら、その人だって凡人未満のさえないおじさんなのだ。
呪いの言葉はここまでにしておこう。
目指すべきは死ぬ瞬間の満足だろう。これだけ生きれば満足と思えれば、それが一番いいと思う。
人生は区間快速
快速のようにスムーズではないけど、たまにスムーズ。きっと、その自称創業者も各駅停車区間があっただろう。
あっ今日の退勤を打っていなかった。退勤は大金に通じるので縁起がいい、という言葉を思い出して、華金を終える。今日はラーメンを食べよう。