時代は暴力です。
というより、人間にとっては民主主義など早すぎるのです。
暴力でしか支配できないのです。
暴力があるからこそ人間は傲慢なのです。
今回の事件を受けてもなお「暴力を以って自分の主張を押し通すのは許されない」などという主張がなされている。
綺麗事を言ってる人は考え直してほしい。
暴力を振るう側にとっては言葉なんて分からないのです。
いくら綺麗事を並べても、人間は殴れば死ぬし銃撃すれば死ぬのです。
「暴力で現状を変えることがいけない」などと綺麗事を並べるような人間は、暴力が行われている現場にでも行って「暴力はいけない!」と主張してほしい。
戦場でそれを言ったってあなたは銃撃されるだろうし、テロリストの前で言ったって言葉が通じるわけもない。(仮に母国語が同じであったとしても)
「許さない!」などとバリケード内から主張するのは簡単である。
問題は、あなたは銃口を向けられながら「許せば撃たない」と言われた時にも許さずにいられるかどうかである。
私たちがやるべきことは言葉も概念も通じない敵に対し「正当な防御」を行うことなのです。
今回銃撃された人はあまりにも目立ちすぎた。嫌われすぎた。目立ちすぎた割には防御が甘かった。
これで証明された。日本の政治はあまりにも緊張感がなさすぎる。
これからは寝ているような議員は銃撃の恐怖とともに生きなければならないわけだから、寝ているわけにもいかなくなる。
国民を舐めた政策などできなくなる。今まで国民を舐め腐った結果が「無敵の人」として現れるのである。
暴力で現状を変えることは人間の本分のようなものだから、これを変えることはできない。
これを否定することもできない。人間は暴力を振るう生き物なのだから。理性を持ち続けることはできないのだから。
だからといって、僕は暴力を用いる人や組織のことは馬鹿で白痴で軽蔑すべき対象で無学だと思っている。
暴力革命に憧れを抱くが、実際に行うことに対しては最大級の軽蔑を抱く。
現状の問題は暴力を上回る民主主義システムを生み出さなければならないということである。だが、人間には民主主義は早すぎる。
じゃあどうするべきか?人間各々防御をしなければならないのです。
仮に電車であなたの隣に座っているおじさんが急に暴力を用いてきても大丈夫なように。
死にたくないあなたはまず、目立たないこと、防御力を身につけること、逃げることが大事である。
少なくとももはや日本は安全な国ではない。平和な国に逃げるのも一つの手である。
斜陽国家である日本でこれから治安が悪くなるのは明白である。
僕だって無敵の人になったことはあるし、無敵の人になった時は自殺やら自爆テロやらさまざまな過激なことを考えた。
これから幾万もの無敵の人が恨んでいる社会に攻撃を仕掛けてくるようになるだろう。
あなたはそれに対してどう対処するか、が大事なのである。
ご冥福を。