コロナウイルス

近所の東南アジア料理店に行き、素朴な味の蒸し鶏ライスヌードルを食べる。

 

ここではコロナウイルスの影響などいさ知れず、店はアジア系の外国人で混み合っていた。

 

中国南部や東南アジアなど米食の地域では米を麺状にしたものをよく食べるのだが、悲しいことに日本ではそれが料理として普及しなかった。中国人などもよくこう言った米の麺状のものを食べるため、この店にもよく集まってくるのである。

食べてみると小麦の麺に比べとても食べやすく、麺なのだが確かに米なのである。

 

 

僕はそのライスヌードルが好きなのだが、この間まで800円だった蒸し鶏ヌードルが900円になっていた。そうだ、消費税が増税された。

消費税はたった2%しか増えていないのに100円もあげるのはいかがなものだろうと思ってしまう。

 

しかしよく考えてみれば、店で仕入れている食料品以外のものにも消費税が増税され、コストがかかっていることは確かである。

 

そう考えると、消費税増税はものの値段が上がるけれども、皆の給料があがることはない、誰も幸せにならないと感じてしまう。

 

思えば、「今まで維持できていたサービスを維持できないのでお金を多く取ります」という値上げは皆の失望を招く。最初から多く取っておいて、「やっぱここまでいらないから値下げします!」と言った方が喜ばれる。

しかし、人口減少、高齢化を迎えた先進諸国にとっては、今の税金のままでは足りなくなることは確かである。

国民全員に1円多く配るには、今より1円多くの税金を国民全員から徴収しなければならない。

 

医療費が増大したという現在50兆円という単位で増大している。1兆円を税収で負担するというだけでも国民全員が一人1万円近く負担しなければならないのである。

 

これなら医療が呪術だった時代の方がマシではないだろうか。人によっては、外出という外出は買い物と病院通いばかりで、もらった年金のほとんどが医療費と生活費で消えるなどという話を聞く。薬を飲まなきゃ生きていけないし、お金は全て医療費に消える、「死なせてくれない時代」の究極、ここにあり。

死ぬ自由がないために生きなければならず、こうなってしまうのである。

 

とはいえ、これは個人に限った話じゃない。国すらも、得た税収を社会保障のために使わなければならない時代になってしまったのである。つまり、「延命」のための薬に個人も国も金を吸い取られているのである。本人が幸せならいいが、幸せじゃないのだとしたら何のために生きているのだろう。うんちを出すためか?

 

 

さて、コロナウイルスは日本ではおえらいさんが会議を立案し会議をし決議される間にきっと蔓延しまうだろう。まだ大丈夫、まだ大丈夫と言っている間に中国に次いで感染者が多い国となってしまった。

 

こんなコロナウイルスが大流行したら、医療費の増大はバカデカくなってしまい、また増税しなきゃいけなくなるんじゃないかと思うとゆうううううつになる。

 

 

そして壊滅的な被害が出てからやっと「対策しましょう」となってしまうのである。そう。そのようにして日本はかつての戦争に負けたのである。

「優れた歩兵は優れた指揮を出すことができない。」優れた指揮を出せる人間がいない、これは深刻なことである。

かつてソクラテスも「哲人政治」を目指した方がよいと示している。これはwiki先生によれば「民主政治がその自浄力を失ったとき、衆愚政治と化す。そのため、独裁制により強大な権力を為政者に付与し、意志決定を速やかに行うことで、強力な改革を行うことが民衆から待望されるようになる。だが、強力な指導力を持った為政者が善政を敷くとは限らず、僭主が自らの欲望を満たすために統治者の地位を利用することも考えられる。」とある。簡単にいえば「完璧人間が政治すれば、正しい選択肢をすぐ決めてくれるし、民衆からも支持される」ということである。僕はこれを正しいと思っている。

 

 

あとは、日本にソクラテスが現れるか、ホーチミンが現れるか、それともポルポトが現れるか、アウンサンスーチーが現れるか、どれかを運に任せるだけである。

ちなみにそのライスヌードルは独裁者の味がしないのである。こんな美味しいものを生み出せる国民の中に、邪悪な独裁者が生まれる風土があるのかと悲しみを感じずにはいられない。