ガチで生きててもしょうがなくないですか?

 

なんとこのブログを始めて一年が経ってしまった。

僕はまだ生きていた。僕のブログは性か死かしか話題のないつまらないものになってしまった。申し訳ない。

 

一年間、良んでくださったのべ1000人には大変感謝しております。

 


半年前「のべ500人が読んでくれました。一年までに1000人に読んでもらいたいです。」と書いたのを実行できた。ありがとうよんでくださった皆様。

 

ブログの記事も一期一会、でも一回会ったそれがいいものであるよう、自分なりに退屈しないようには頑張って書いてはいますが、きっとつまらないものでしょう。

僕のおちんちんと同じくつまらないのです。しかし、このブログはあくまでしょうもないことを書いていますが、ストレスが溜まった時に書いているのです。

 

普段のんべんだらりと原動力のない生活を送っていると文章が書けないのですから、物書きは相当な圧力をかけられているはずです。

 

発狂寸前なんていうことも大いにあり得ます。

 

 

ブログを読み返すと、当時の起きていたこと、考えていたことなどの記憶が蘇って来て、こういうのもまたいい記録だと感じるのです。

 

 

 

ブログを始めようと一念発起して早一年、内容は「イチモツ勃起しても大きさ一寸」、一発逆転に賭けるも起こるは一難といった状況でありました。

 

こう色々と物事が起こると世の中がどうでもよくなるのです。

 

 

働いていなくて、長く続いている友達も少なく、SNSアカウントを消してしまえば誰とも関わりのなくなるような僕が生きてる意味ってあるんですか?

 

 

おもんないし、金のかかるうんこ製造機だし、頭も悪いし、ミスはしまくるし、努力も嫌い。

生きてる間にしたいこともない。ただ、明日が来なければ明後日が来なければいいと思っているだけ。

 

こんなこと言ってる奴が知り合いにいたら「じゃあ死ねw」と思ってしまう悪しき心も内包しているのです。

 

もちろん、生きたいと思ってる人や死ぬことが選択肢にない人は絶対に死ぬべきじゃない。

世の中に死ぬべき人はいません。

 

でも死にたくて生きてる人はなんで生きてなきゃいけないんでしょうか?

 

 

経済を回すため?子孫を増やすため?

ケチなので買い物はメルカリと生活必需品ばかりだし、子作りはできたってこんな遺伝子を残しても仕方がない。

 

 

倫理観がないので、別に死んだらどうとかそういうのもよくわからないのです。

 

 

本当に生きててもしょうがなくないですか?

この問いの答えが分からないので、身体の本能的な拒否反応がなくなった瞬間、死のうと思っています。

 

まだ僕は高いビルから下を見ると怖くてしょうがない。

川に飛び込んだ日は全然怖くなかった。また、怖くない日を見つけて、飛び込むのがよさそうだ。僕は弱い。

 

明日は飛び込むのが怖くないような日であってほしい。死ぬのが怖くない日であってほしい。そう願いながら今日も寝る。