今回は古い知人から「男女の友情は成立するか」というテーマをいただきまして、記事を書くことといたします。
男女の友情とは何かを探るため、サクッと友達ができるというマッチングアプリというものを入れてみました。
今まで女側でしかやったことがなかったので(ネカマ)、マッチングなんて簡単かと思っていました。しかし、実際は男側では過度な競争社会が繰り広げられ、顔のよくない私は泣きながらインストールしてはアンインストールを繰り返す日々を過ごしております。
実はマッチングはできるんですが、メッセージのやりとりが男側は有料なんですよね。課金したくなくて辞めるしかないんですよ。お金は大事じゃないですか!
という負け惜しみです。
異性間の友情を作ろうとして、ただ僕は現実を突きつけられて泣く羽目になっただけでございます。
さて、男女の友情は成立するか、この問題は領土問題や宗教問題のようにセンシティブで、非常に意見が分かれるのではないかと思います。
私自身としては、成立するが非常に脆いものではないかと思います。男女の友情は往々にして崩壊しやすく、海外製のウエハースのようにボロボロ溢れてしまうでしょう。
アリストテレスちゃんがいうには、友情には「実用」と「快楽」と「善」の段階があるようでして、実用はお客さんと店員レベル、快楽は飲み仲間レベル、善は性格が好きレベルだということみたいです。
と考えると、「友情」も「恋愛感情」も紙一重なのではないでしょうか。
「友達として好き」は今にも「もっと一緒にいたい」につながってしまうでしょう。その感情に、異性であるという要素が相まって、好きになってしまったりするのです。
友人関係を維持するためには、お互いがこの友人関係を維持するという意思が必要です。恋愛的に「好き」とならない程度に相手のことを友人として「好き」でなければならないのです。
普通や嫌いでは友人になることはないでしょうから。
僕には(少なくとも僕は友人だと思っている)異性の友人がいまして、そのうちの一人と話すことがありました。
友人は「この関係が楽なのかもしれない。だって、君、私に惚れること絶対ないでしょ?」
といい、「たしかに」と思った。
そういう安心感というのはあるのかもしれません。
何故なら相手には結婚相手がいるからです。浮気にならない程度に話す関係はたしかに気楽です。
一方または両方にパートナーがいれば、男女の友情は簡単なのかもしれません。しかし、人によっては異性の友人などというものはテイの良い浮気だと考えている人がいることも事実です。
複雑。
男友達を装ってワンチャンスを狙う輩がいるのも事実ですし、そのまた逆の寝取り大好き女がいるのも事実。かれぴの女友達は敵だと思っている女もいます。
結局のところ、人は皆考え方が違うので、友情が成立しうる派と許せない派とが分かれてしまうのでしょう。
ただ、絶対恋愛に発展しないと思っていた友人関係の二人が、一線を超えてしまい恋愛関係に発展してしまうという展開は非常に好きです。
そういうお話を読むと、妙に羨ましく思ってしまう自分がいます。
恋愛には必ず終わりが来るというのに。
いろは歌に言わせれば、
我が世誰ぞ 常ならむ
(この世はどうして変化しないことがないだろうか)
というわけですね。
恋愛は儚くも終わりが来ますが、友情は細くなっても終わらないからいいんですよ。
でも惚れるもんはしょうがないですよね。
友人にしても恋人にしても、長く続く関係の人ができるだけ多くいてくれたらいいなと思っております。