親への感謝の手紙

幼少期住んでいた場所の近くの百貨店の2階にあった自販機コーナーで、アセロラドリンクを飲む時が嬉しかった。

 

なぜなら、怒られないからだ。

幼少期はなんかよくわからないけど、挙動全てにおいて怒鳴られていたような感覚が残っている。

 

はしの持ち方ができないと泣くまで、いや泣いても怒られていた4歳。

戸塚ヨットスクールに入れるぞ!と脅された4歳。

いっぱい食べさせられるのに「ぶくぶく太りやがって」と言われた幼少期。

友達ができなくて折り紙ができなくて1人で毎日砂遊びをしていた幼稚園時代。

おもちゃを片付けられないと全て捨てられ、おもちゃがぬいぐるみしかなくなった幼児期。

 

貴女の言うとおり、僕は人を嫌な思いにさせる天才です。

 

ちんちんに話しかけていた5歳時代。

周りの子と違って、自分だけが大人だからうまくいかないのだと思っていた。

発達障害だった。

 

おかしな愛を受け取っていた。

ある日は嫌と言うほどキスをされ、ある日は頭が張り裂けそうなほど痛くなるまで怒鳴られ、晴れのち雨。

 

泣けば「悲劇のヒロインじゃねえんだぞ!」と怒られた。

 

親が買い物に行く時間だけが楽しみだった。

怒られないからだ。

 

「お父さんは本当のお父さんではない」

何度も聞かされた。

毎日母親からは父親の愚痴を聞かされた。

「お父さんみたい」と怒られることも多かった。

 

思えば小さい頃から、うっすら死にたかった。

 

親の機嫌を取るために頑張りすぎた。

怒られることを自然と避け、怒られないことを、機嫌がよくなることを選んできた。

 

 

60点を取れば壁にテストを貼られ、怒られ続けた。

以降、高校生になって54点でクラス3位を取るまでは、一度も70点を割ったことはなかった。

 

毎朝「遵守事項10項目」を親の前で暗唱させられた。

遵守事項10項目の12、上履きのかかとを踏まない。

 

お風呂に一緒に入り、身体のあざを全てチェックされあざができた原因を尋問された。

答えられなければ心にあざをつけられた。

 

 

学校であったこと、先生に怒られたことも全て報告対象だった。

全てにコメントがつけられた。

 

 

反抗期はなかった。親に反抗すればすなわち死であることを理解していたからだ。

 

河合塾基準偏差値65大学に塾なしで受かれば、「高卒でいいのに」と言われた。

 

 

ああ、そういえば幼少期を過ごした街は大きく変わってしまった。

駅前の工場はショッピングモールに

川近くの工場はサスティナブルタウンに

日産の社宅は違法建築マンションに

公務員住宅は高級分譲に

僕の住んでいた小さなお化け屋敷は高級リゾートマンションに

 

谷戸だけが変わらず谷戸であった。

 

 

 

去年の今頃セイタカアワダチソウを見て書いたブログ記事を思い出す。https://toma3-ra.hatenablog.com/entry/2022/10/27/083308

 

今年もこの季節がやってきた。

金木犀の時期なんて一瞬で、すぐセイタカアワダチソウだ。

職を失い、働けなくなってはや半年。

 

かなり狂ってしまった。

 

 

今、指針を失い、どう生きればいいか分からなくなった。

いい会社にも入れなかった。転職していい会社に入っても心を壊した。

 

 

小さい頃親が頑張っていかせてくれたディズニーは嫌いになった。

 

 

責任を取れ。責任を取って迷惑をかけずに1000万円の保険金を残して早々に自然死しろ、と願い続けている。

 

僕が塾に行かずに偏差値65大学に受かったように、介護施設に行かずに死ね。

 

お母様、僕はお金のかからない息子です。

あなたたちもお金をかけずに死ね。

 

 

でもね、これでもちゃんと感謝してるんですよ。文句言われながら通った私立大学の学費を出してくれたことも、「ぶくぶく太りやがって」に怯えながら食べた手作りご飯も、嫌いになってしまったディズニーに何度も行かせてくれたことも。

そして、自殺未遂した時に迎えに来た時のことも。仕事をしてなくても怒らないことも。